1975年マニラ初演の入野義朗作曲「Globus Ⅲ」楽譜を拝見して

昨日(2026.3.1)、JML音楽研究所にて「近年の笙のための作品紹介交流会~近藤裕子先生を迎えて~」があり、オランダ在住の笙奏者佐藤尚美さんから欧州の笙現代作品などをご紹介いただきました。
会が終わってから入野智江さんが、持ってきてくださったのが入野義朗作曲「Globus Ⅲ」の楽譜。
表紙裏の初演記録によると1975年11月20日マニラで初演されていて、編成は、ヴァイオリン、笙(篳篥と持替)、チェロ、ハープ、ピアノ、踊り手2 となっています。
楽譜は日本作曲家協議会が作成したとあります。
笙と篳篥を持ち替え?
初演時の演奏者名もありました。
ヴァイオリン 篠崎功子
笙(篳篥)東儀季一郎
チェロ 倉田澄子
ハープ 篠崎史子
ピアノ 浅野 繁
踊り手(女) 折田克子
踊り手(男) 泉 勝志
指揮 入野義郎
1975年… マニラ… 笙・篳篥持替の東儀季一郎氏… 興味津々です。
楽譜の笙・篳篥パートを見ますと、あまり無理ない音の運びで、塩梅や合竹などが用いられています。是非一度、この楽譜を音にしたい!
1970年代といえば、
国立劇場が雅楽器の曲を委嘱した最初が、黛敏郎「昭和天平楽」(1970)。武満徹「秋庭歌」(1973)、シュトックハウゼン「LICHT」(1977)、武満徹「秋庭歌一具」(1979)、一柳慧「往還楽」(1980)・・・と続きます。
それより前、1964年からNHKラジオ「現代の日本音楽」の放送が始まり、その依頼で、芝祐靖先生は60年代から五線譜で雅楽器と邦楽器のための曲を書かれていました。
「西寺」(1962)、「三重奏曲」(「舞楽風組曲」「二つの面」(1963)、「嬉遊曲・信濃情景」(1965)、「ともしびに寄せて」「寓話Ⅰ」(1966)、「寓話Ⅱ」(1968)、「春日二題」(1969)、「横笛三章」(1970)などがあります。
1970年代になると龍笛ソロ曲の「祁響4番」(1971)、「祁響11番」(1972)、古代歌謡による「天地相聞」(1975)。
管絃の編成で書かれた最初の作品が「招韻」(1977)。
さらに龍笛ソロ曲の祁響1番指舞」(1978)、「祁響第二番一行の賦」(1979)。
そして管絃編成の「招杜羅紫苑」(1980)が続く、といった時代です。
調べてみると、入野義朗氏は1971年に東京音楽企画研究所(TOKK)を設立。
1975年にTOKK東南アジアツアーを遂行していますから、このGlobus Ⅲはその時に初演されたのですね。
入野氏は1973年にアジア作曲家連盟(ACL)の設立に尽力されたそうですから、それとも関係があるのでしょう。
ちなみに、これに先立つ1973年9~10月に入野氏は、国立劇場の木戸敏郎氏、石井真木氏と共に「日本の伝統と前衛音楽」(Global Music from Japan)世界ツアーを企画しています。
イラン、ドイツ、フランス、ベルギー、イタリア、さらに、オタワをへてサンフランシスコと1か月かけて回り、声明僧侶17名、平曲の井野川孝次検校、邦楽洋楽混成の「 TOKKアンサンブル」の横山勝也、青木静夫、鶴田錦史、小泉浩、篠崎史子、山口恭範、石井かほる、和勝志を引き連れて回るという大掛かりな企画です。(パフラヴィー朝時代のイランが含まれているというのも興味深く・・・)
この1973年のツアーでは入らなかった雅楽の楽器を、1975年のアジアツアーで入れてみたということかもしれません。
さて、笙と篳篥を演奏した東儀季一郎氏は、父が東儀和太郎氏という宮内庁楽部楽師の家柄ですが、ご自身は1958年16歳の時に退部して洋楽に転向し、日生劇場での作品づくりに携わったとのこと。その後25歳で雅楽に復帰し小野雅楽会などで演奏されていたといいます。
1976年(昭和51)の国立劇場雅楽公演、舞楽法会「密厳浄土」では蘭陵王を舞われ、1977年(昭和52)「宴曲」公演では、小野雅楽会による催馬楽・朗詠演奏のなかで琵琶を奏していらしたようです。(文化デジタルライブラリー雅楽 より)
1978年初演された小野雅楽会委嘱、芝祐靖作曲「招韻」では笙1/銅拍子のパートを演奏されています。
入野先生が雅楽の楽器のために作曲された曲は、公開されている楽曲一覧を見る限りでは他になさそうです。
唯一のこの曲、いつか再演したいものです。
参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E9%87%8E%E7%BE%A9%E6%9C%97
西村朗 考・覚書(21)邦楽器領域の作品(Ⅱ)尺八と雅楽|丘山万里子 | )
『雅楽事典』p.267
https://www.adachi-asahi.jp/?p=423


