葦の旅#4ドゥドゥク を終えて
(*これから写真・URLなど追加する予定ですが、とりあえず文章のみ公開しております。)
ドゥドゥクと出会って30年、いつかちゃんとこの楽器に向き合ってみたい、という長年の願いから企画した「葦の旅#4ドゥドゥク~アルメニアから風にのって」公演。
当日は大雨でどうなることかと思いましたが、台風が早めに通り過ぎてくれたおかげで、ほとんどのお客様に来ていただけて、この滅多に聞けない音楽・アンサンブルをお届けできたのは嬉しい限りです。
ドゥドゥク本体は杏(アプリコット)の木でできているのですが、日本人が桜を好むようにアルメニアの方は杏の花を愛で、その木を大切にしているとか。その杏でできたドゥドゥクはアルメニアの国を代表する楽器です。
篳篥はまだ日本でもマイナーな楽器ですし、管子(中国)・ピリ(韓国)・メイ(トルコ)といった篳篥系楽器も、スオナ、太平簫、ズルナといったチャルメラ系の華やかな楽器に比べるとやっぱりマイナーな感じ。
その中で、アルメニアと言えばドゥドゥクだよね、と認められ、世界中に愛好者がいるこの楽器は、篳篥吹きからするとちょっと羨ましい存在であるとともに、あの深い音を自分でも出せたら・・・と憧れる楽器でもありました。
今回の演奏会は、ドゥドゥク演奏をするだけでなくアルメニア音楽に詳しい藤川星さんとの出会いがあってこそ!曲選びから当日の解説までお世話になりました。
藤川さんが、演奏する各曲ゆかりの地を示した地図をご用意くださったのですが、最初に
「この地図には色をつけたアルメニア共和国の他にも、トルコ、イラン、ジョージ、ロシアなど広い範囲が入っていますが、今日演奏するアルメニアの曲には、現在のアルメニア(色のついている所)に由来する曲は1曲もありません」
の説明に、皆さん「どういうこと?」といった表情。
どうしてそうなるのかといえば、長い歴史の中でアルメニア民族の住む場所が移動していたり、大帝国の一部に組み込またりしていたからです。
日本の音楽っていうのは、今自分がいる日本という場所の音楽、と深く考えずに思っている私達には、想像もつかない歴史です。
今回の1曲目は、アルメニア語を考案したメスロプ・マシュトツ(362-440頃)作曲と伝えられる宗教曲。アルメニアは、4世紀初めに世界最初のキリスト教国となった国なんです。
その頃の日本といえば、允恭天皇崩御(454年)のため新羅から音楽家が派遣された記録が残っていますが、外国からいろんな音楽が流入し始めているけれどまだ雅楽が成立するよりずっと前。
そう考えると、アルメニアにそんなに古い曲が残っているって、すごいことです!
その他、日本でいえば平安時代に当たるころ、11~12世紀の修道士が作曲された曲も演奏しました。こういう古い曲は今でもいろんな楽器編成で、アレンジされたりして奏されていて、古い宗教曲だからこうあらねばいけない、という縛りが日本のようにはない気がします。
12世紀の修道士・詩人のネルセス・シュノラハリの「アーメン、聖なる父」では、ドゥドゥクでハモったり、ドローンを吹いたり、二人いるからこその合奏を楽しみました。
それにしても、キリスト教宗教曲を自分が人前で演奏する日が来るとは思いませんでしたが、これも篳篥つながり。
11世紀の修道士ナレカツィ作曲のHavoun-Havoun(鳥よ鳥)を大篳篥で奏してみましたが、驚くほど違和感なかったです。
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公演では、アルメニアの曲をドゥドゥクで吹くだけでなく、アルメニアの曲を大篳篥や篳篥で吹いてみたり、日本の雅楽の曲をドゥドゥクも吹いてみたりしました。
演奏した雅楽曲は、夏に合わせて黄鐘調の「拾翠楽」です。
藤川星(しょう)さんには、ドゥドゥクで笙譜に書かれた音(和音の最低音)をそのままの音高を吹いていただきました。
私も前半はドゥドゥクで、篳篥譜通りに吹きました。といってもちょっと音が違っていて、「上」の指でG,「一」でF♯、「凡」でC♯の音を吹いたのは、昔は黄鐘調の本来の音階の音で吹いていたんじゃないかなと思ったからです。テンポも上げたので、元曲とはずいぶん違って聞こえたのでは?
後半は篳篥に持ち替えて、現行雅楽通りのめった(低い)音(F、F、C)で演奏。ドゥドゥクと篳篥の音色の違いに驚きます。久田さんの太鼓の味わいもあって、アルメニアン雅楽もなかなか良い味を出していました。
この葦の旅シリーズで、こうした○○風雅楽の演奏を毎回取り上げているのは何故かというと、日本に初上陸した時の「篳篥」はどんな楽器で、どんな顔の人がどんな音楽を奏でていたのだろう?「雅楽」が今の形に落ち着く前はどんな音楽だったのだろう、そんな想像を膨らませたいからなのです。
今回の公演の演奏曲としては、その他にも各地の子守歌や民謡(中には少数数民族ヘムシンの民謡も!)を歌ったり、ドゥドゥクやシュビで奏したり。
吟遊詩人サヤト・ノヴァの「Nazani」や、踊りの曲の「Erzrumi shoror」などは太鼓も入れて賑やかに!
思想家グルジェフのピアノ曲はドゥドゥクや鈴・太鼓で少々重厚なアレンジで演奏。
叙事詩にある「オヴァンの叫び」まで登場して、篳篥で叫んでみたり!
と、なかなか多彩な内容となりました。
アンコールに奏した「Aysor Dzaynen Hayrakan」にも篳篥を入れてみると、明るさ・強さが加わって合うなあという発見も。
ヨーロッパの東端にあるアルメニアのドゥドゥクと、アジアの東端にある日本の篳篥。
とっても似ていて、やっぱり随分違うこの二つの楽器を一つの演奏会の中でご紹介できたのがとても嬉しい演奏会となりました。
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さて、ドゥドゥクの奏法を篳篥と比較して見ましょう。
頬を膨らませること、タンギングをしないこと、倍音は出さないことなど、よく似ています。
ただし、篳篥は口の形を変えることで音程を調整し、時には指を変えず口の形を変えて「塩梅」をつける(ポルタメントで音高を変える)ことがありますが、ドゥドゥクでは基本的には口の形ではなく指をかざすことで音程を作ります。
今回はドゥドゥク奏者が二人いるので、一人がメロディーを吹く間、もう一人が循環呼吸でドローンを吹く場面がありました。
アルメニアでは、ドゥドゥク奏者がどれだけ大勢いても、旋律を吹くのは一人だけで、その他大勢はすべてドローン奏者(ダムカーシ)となるのが普通です。藤川さんも私もこれまで一人でドゥドゥクを吹いていたので、ダムカーシをやるのがなんだか嬉しい初体験。
音を滑らかに繋げながらいつの間にか息を吸っている、という域にはまだまだ達していませんが、循環呼吸、この機会に少し上達しました!
そもそも篳篥でも、低音域なら循環呼吸可能ですが、やりません。なぜ循環呼吸しないかといえば、高音域になるにつれ息が持たなくなる、ということもありますが、なにより雅楽では笙が持続音を出してくれているから、という理由に尽きると思っています。
循環呼吸する必要がなかったから、循環呼吸に適さない高音域の篳篥が日本に定着できた、ともいえるかもしれません。
その他の奏法として、顎をうごかす「もぐもぐ」トリルは馴れてきましたが、この「もぐもぐ」と指の相乗効果によるトリルはなかなかに難しく、今回も指だけでお茶を濁した感あり。
まだまだドゥドゥク上達の道は遠いけれども、楽しいです。
ヨーロッパの東端にあるアルメニアのドゥドゥクと、アジアの東端にある日本の篳篥。
とっても似ていて、やっぱり随分違うこの二つの楽器を一つの演奏会の中でご紹介できたのがとても嬉しい演奏会となりました。



