雅楽とガムラン音楽の源流は同じ?


昨年から主催している「葦の旅」ライブは、篳篥という楽器のルーツや仲間を訪ねる旅だったのですが、7回目の葦の旅は、雅楽が広くアジアの音楽に源流を持つことを実感させてくれるインドネシアの中部ジャワに伝わるガムランを訪ねます。
なぜガムランなのか。ガムランと雅楽がどれほど似ているか、ここに書き連ねてみましょう。
ガムランと雅楽。もちろん音律が違いますし、管楽器や絃楽器が旋律を奏する雅楽に対して、ガムランは青銅打楽器が主体となっていて、音の響き自体は全く違って聞こえます。
けれども、聴いていると何だか気持ちよくなって寝てしまう、という点で雅楽とガムランはとても似ていますよね!
どちらも床に座った沢山の人たちが、お互いの音を聴き合いながら指揮者無しに合奏できてしまう、とか、曲名には何か意味のありそうな言葉が記されているけれども、曲の中で具体的にそれを表現しているわけでもないし、人の喜怒哀楽の表現をする気もない、どちらも宮廷音楽だったから高雅な雰囲気あるよね、など、共通点がどんどん出てきます。
演奏者が、ある楽器だけを専門的に奏するのではなくて、それぞれ得意な楽器はありつつも他の楽器も演奏できるし、舞/踊りもやってしまう、というあたりも似ています。
中でも一番気になるのが、音楽構造の共通点です。
まず、曲を演奏する前に、その調の雰囲気に場を整えたり楽器の調整をするために、雅楽なら「音取」を奏しますが、ガムランにも「パテタン」というものがあって、少人数がフリーリズムでその調独特の調べを奏します。
そしていよいよ、雅楽なら音頭(龍笛)の独奏から曲が始まって、太鼓の拍から全員が付けるわけですが、ジャワガムランも同じように、ボナンやルバブといった楽器の独奏で始まって、ゴングから全員が付けています。
曲の最後も雅楽なら太鼓、ガムランならゴングで終ります。ただし雅楽の方は各楽器音頭の数人だけが太鼓の後も短い「止手」を奏していますが。
どうも雅楽の太鼓とガムランのゴングは、同じ役割を持っているようです。
ガムランのゴングは、曲の周期の一番最後に鳴らされて、最も重要な拍を示し、またあらたな一周期が繰り返されるのですが、雅楽の太鼓も打楽器のリズムパターンの一番最後に大きな音で打たれて、それ繰り返されます。どちらも最後の拍が大事、というのも興味深いです。
この大切な拍はたいてい少し勿体つけて遅れて奏される、というのも両者共通。拍がどこかで延びてもあまり頓着しません。
また太鼓は管楽器の拍よりちょっと遅れたってよいし、鉦鼓は太鼓よりわざと少し遅れて打つ、という感覚が雅楽にありますが、ガムランも同様です。クノンという楽器は少し遅れて打たれることがありますし、ゴングはそれまでのテンポより少し間を置いてゆったり打たれますし、他の楽器はゴングよりさらに少し遅れて入ってきたりするのです。あえて全員がぴったり拍を合わせないことで、厚み、重みが生まれるという感覚でしょうか。
曲の形式を曲名と一緒に楽譜に表記する、というのも両者に共通しています。
雅楽なら曲名の下に「早四拍子」とか「延八拍子」という打楽器の1周期のリズムパターンに関する情報が書き添えられていて、打楽器がどのパターンを奏すればよいかわかるようになっているのですが、ガムランでも「Ktw.(クタワン)」とか「Ldr.(ラドラン)」「Gd.(グンディン)」などという形式が曲名の前に書き添えられていて、1ゴング周期の中で節目楽器がいつ鳴るかなどの奏法がわかるようになっているのです。
「延」と「早」あるいは「四拍子」と「八拍子」の関係は、ジャワガムランのラドランとグンディンの関係、クタワンとラドランの関係とも似ているし、管絃と舞楽で拍を倍にとる感覚は、ガムランで拍が倍速となるイロモにも似ています。そのあたり、またいつか詳しく記したいところです。
と、これだけ記せば、やっぱり雅楽とジャワガムランは似ている!とわかっていただけたでしょうか。こうした拍節構造の類似性からして、何か同じ源流から生まれて違う形に育った音楽なじゃないかな、と思われませんか?
いやいやちょっと待って!
その周期的な拍節構造、雅楽では実は打楽器だけに適用されているのであって、管楽器や絃楽器の旋律は自由に展開されていませんか?打楽器の周期的リズムパターンと旋律は有機的に結合してはいないので、旋律だけ見ても打楽器の拍節構造を言い当てることはできないのです。
その点で、すべての楽器が同じ周期リズムを共有しているガムランとは、やっぱりかなり異なっていると言わざるをえません。
この打楽器の拍節構造と他の楽器の構造が別個であることについて、小泉文夫先生はすでに1969年の『雅楽界』第49号(小野雅楽会発行)の中で「拍節の二重構造」と呼んでいらっしゃいますが、まさしく二重構造です。いわば打楽器の周期的リズムに乗っかって、旋律が自由に展開されているという音楽で、とても特徴的でもあり不思議な構造ですね。
雅楽とインド音楽(上)―拍子、リズムの類似性についてー」という論文で、小泉先生は、インド音楽と雅楽における拍子やリズムに類似性をさまざまな面から指摘しされていますが、「拍節の二重構造」についても、インド音楽の「ターラ」が旋律から一応はっきり独立した拍節的周期として繰り返されていることに類似していると指摘されています。
ということは、インドネシアのガムラン音楽だけでなく、インド音楽も雅楽の拍子・リズムの構造と、何かしらの共通点があるということでしょうか。他のアジアの音楽にも共通点があるのかもしれません。
雅楽は中国大陸や朝鮮半島から日本に伝わり、千年以上もの長い間日本で育まれてきた音楽ですが、その源流は広くアジア各地の音楽にあり、それは現在伝承されている各地の音楽の中に痕跡が残されているのでしょう。
今回の演奏会では雅楽の「越天楽」を」ガムランの拍節構造に当てはめて、「雅夢楽(ガムガク)」という曲名で演奏したいと思っています。この曲を聴いて、雅楽とジャワガムランの親和性を是非実感いただきたいなと思っています。






