葦の旅② Suat Işıklı先生からメイを習う
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イスタンブールでメイを教えてくださったメイ奏者はSuat Işıklı先生。この先生をご紹介くださったのはEtem Ruhi Üngōrさんという音楽雑誌を出している方でした。こうして旅の最後の1週間は先生のお宅のあるカドゥキョイ(Kadıköy)まで、毎日船に乗ってボスポラス海峡を渡り、メイのレッスンを受けられることになったのです。


初めての顔合わせはチャイを飲ませるお店のようなところでした。ちょっと吹いてみてごらんという感じでメイを貸していただき、最初に音を出したときのこと。私は、篳篥よりずいぶん大きなリードだなあと思いつつも当然のようにセメ(リードの空き具合を調整する楕円の輪)のあたりまで口に入れて吹いたのですが、先生に笑われて、3mmしか口にいれちゃだめだよ、と言われたのを覚えています。3mm?!
先生はリードの先端を少しだけ口に入れて口をもぐもぐさせながら音を出します。柔らかいけれどしっかりした音。
大きな篳篥蘆舌をつけて出していた日本の“メイ”の音とはやっぱり違います。こういう音になるんだ!
そしてこの顎を動かすモグモグした動きはなんとしたことか。中国の管子では胸や唇を使ったり楽器を揺らしたりしてビブラートをつけましたが、メイはまたちがった口の動きをしています。そして頬は大きく膨らまして吹いています。頬を膨らますのは篳篥吹きの私にもできそう。
というわけで私は突然のお願いにもかかわらず1992年8月23日~27日と29日のほぼ毎日、6日間で20数曲ものエルズルム民謡を教えていただきました。
レッスンを録音したカセットテープが今では貴重な練習資料になっています。小柴先生が撮ってコピーしてくださったVHSテープもやっと先ごろデータ化しましたが、色は変わっていますが見られるのはありがたいことです。
録音には、先生の演奏だけをスタジオ録音したものもあり、その収録曲の一部はメイではなくクラリネットで演奏されています。
先生の次男さんがいた日は、この方にサズという弦楽器やダラブッカという打楽器を演奏してもらい、先生のメイとのデュオを録音させていただいたりもしました。
ちなみに先生は経歴を見ると、クラリネットやメイmeyだけでなく、カヴァルKavalという尺八のような楽器、ズルナZurnaという軍楽隊でも演奏される小さなダブルリードの楽器も吹ける方だったようです。
曲の教授には五線譜を使いました。


Işıkılı先生は1934年エルズルム生まれで、エルズルムのラジオ局で演奏活動をしたり、200以上の民謡を集めた楽譜を編集されたりした後、1981年イスタンブールのラジオ局に移られた方だったのです。(略歴はhttps://www.salihbora.com/sanatcilarimiz/gonul-verenlerimiz/suat-isikli/ 参照)
エルズルムというのは、トルコ東部の高地にある都市で、アルメニア、ジョージア、イランの国境にも近く、古来から交易路の中継地だったところのようです。メイは東部の方で使われる楽器ですから、たまたまエルズルムから移住したメイの先生がイスタンブールにいらしたこと自体、奇遇でした。
「要はNHK交響楽団みたいなところで演奏されていたのよね。」「NHKが『民謡大観』を出版したように、トルコではラジオ局が民謡集を出していたわけよ。」という小柴先生のお話で、ちょうど小柴先生と一緒に私も民ゼミで『民謡大観』のために沖縄民謡の採集・採譜をしていましたから、とても納得できました。
レッスンを受けていると、下の方からチャイ屋さんの声がして、階段の上から先生が声をかけると、チャイを持ってきてくれます。甘いチャイを飲んで休憩を挟み込みつつ、トルコ語を話す先生と、トルコ語のわからない私が向かい合って頓珍漢な会話?をしながら、楽器を吹いていくわけです。
いや、最初の回や最後の回などは、小柴先生が来てくださってビデオを回しながら先生と話してくださったのですが、小柴先生が私に通訳してくださっていると、待ちきれずにSuat先生がまた話し出すという具合で内容がわかりそうでわからない。あの時にトルコ語がわかったら、ずいぶんいろんな情報が得られたのにな、と残念です。
私は篳篥を吹いていたおかげでメイの音は最初から出せましたし、楽譜も読めるので吹けるのですが、モグモグ奏法は難しい。口の力を抜けば良いと思うのですが、音を出すには口を締めねばならないし、結局先生のように自由に顎を動かせるところにはなかなか至りませんでした。
篳篥と違って、音出ししてもいいかなと思える音量の楽器なので、ホテルでも練習ししていたのですが、メイを吹いていたら宿の主人がやってきて、どうしてオレの故郷の曲をあんたが吹いているんだ?と聞かれたのも懐かしい思い出です。
さて、せっかく教えていただいたレッスンの成果はどうなったでしょう。
この年1992年12月27日には、東京の深川座というところで「葦笛胡響 Hichiriki & Mey」という演奏会を企画しました。Iskili先生にせっかく熱心に教えていただいたのですから、なんとかトルコで聞いたメイの音色を日本で響かせねばと思ったのです。
メイだけではなかなか聞かせるものにならないので、打楽器奏者の永田砂知子さんを笙吹きの田島和枝に紹介いただき、永田さんに打楽器をつけていただいて、習ってきたメイの曲を数曲吹き、即興演奏もしてお披露目したのでした。
ただし、結局その後はメイから遠ざかってしまい、30年余り放置してしまいました。
今度2025年3月に行うライブは、30年前にやり残した宿題に向かい合い、改めて学び直して練習しつつ、メイらしさ、篳篥らしさを他の篳篥属楽器と比べながら考える機会ともなっているのです。
…いや、そういえば2018年にもメイとの接点があったのでした。文京シビックホールでのダブルリード楽器演奏会で、メイ・ズルナ奏者のÜnal Yūrukさんと出会ったことを忘れてはいけないですね。(つづきはまた今度)