葦の旅 ①メイを習いにイスタンブールへ

3月22日に「葦の旅」の第1弾目のライブ「メイ with サズ~トルコ~」を催します。

これからしばらくの間「葦の旅」と称して、篳篥と同様に葦のリードを用いる同属楽器を訪ねて、一緒に演奏して見たり、自分自身で吹いてみたりしながら、篳篥のルーツを辿ったり、日本の篳篥らしさを再確認したりしたいと思うのです。

■1回目はトルコのメイをサズという棹の長い弦楽器と一緒に演奏します。
メイ奏者をお呼びして吹いていただきたいところなのですが、どうやら日本にメイの演奏家という方はいらっしゃらないようなのです。
私自身は1992年にイスタンブールを訪れてメイを習いましたので、その時の録音・楽譜・映像を参考にしつつ自分自身で吹いてみることにしました。

 

■なぜ篳篥吹きがメイを吹くの? 発端は国立劇場公演

30年余り前の発端を書き留めておこうと思います。

メイという楽器は国立劇場で1980年代以降の正倉院復元楽器を用いた公演で低音の篳篥パートとして良く用いられていた楽器でした。その始まりは1982年(昭和57)第31回雅楽公演が、なんと篳篥をメインとした「西域の音 ひちりき」という公演でした。

公演では「月令」という新曲を、篳篥(日本)、管(中国)、バラバーン(イラン)、メイ(トルコ)に打楽器を入れて演奏したり、雅楽古典の「胡飲酒」を「序」はメイ、「破」の一は大篳篥、「破」の二は篳篥で演奏したり、敦煌文書の古譜による再興の初演(傾盃楽、慢曲子西江月、慢曲子、慢曲子心事子、慢曲子伊州、急曲子)を篳篥3,管3、バラバーン3、メイ3で演奏したりして、まさに篳篥尽くしです!

(文化デジタルライブラリーhttps://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/ 参照)

どんな公演だったのでしょう。この年、私はまだ高校生で公演を見ていないのが残念です。

↑写真左からメイ(トルコ)2本、ドゥドゥク(アルメニア)3本、バラバーン(イラン)2本、大篳篥(日本)、篳篥(日本)

この時、メイやバラバーンの管の楽器複製をしたのは富金原靖氏で、りードは東儀兼彦先生が篳篥蘆舌を大型にしたものをお作りになったようです。そしてこの管を利用して、その後、敦煌琵琶譜を復元した曲などの演奏では、篳篥、バラバーン、メイという3種の楽器が使われるようになったのでした。

笙ならば正倉院に大型笙の竽が残されていて、1オクターブ低い音色をきくことができますが、篳篥は「大篳篥」という言葉が『源氏物語』などに記されているものの現存していないので、どんな楽器だったのかわかりません。篳篥より半オクターブ低い大篳篥だけでなく、バラバーンやメイといったより低い音の出せる民族楽器に目を付けたところ、演出の木戸敏郎さんはやはり流石です。

ただ、私としてはメイといいながらメイのリードは使わずに、大きめの篳篥のリードを使っているというのが、なんだかちょっと騙しているようにも思えて、解せませんでした。本当のメイのリードを使ったらよいのに。いったい本当のメイのリードってどんなものなのだろう、どんな音がするのだろう、と非常に知りたかったわけです。

■実物は小泉文夫記念資料室にも。

知るための手掛かりは実は大学内にもありました。1983年、私が東京藝術大学に入学した年の夏にお亡くなりになった小泉文夫先生の楽器資料が大学に寄贈され、小泉文夫記念資料室となるにあたり、私も『東京藝術大学音楽学部小泉文夫記念資料館所蔵楽器目録』(1987)を作るお手伝いなどをしましたので、メイやバラバーンを見るという機会はあったのです。

■管子も吹いてみたり・・・

また、1987年大学院に入学当時は中国からの留学生が沢山いらしていて、その内の1人である左継承さんからは管子という中国の篳篥を教えていただくことができました。舌でタンギングしたり、ビブラートをつけて歌ったり、倍音も自在に操ったりする管子の奏法に目を見張りつつ、「陽関三畳」を吹いて練習しては、その表現力を真似していたのです。

(ちなみに先にご紹介した国立劇場「西域の音ひちりき」公演でも中国の管(管子)が使われていますが、日本中国文化交流協会から資料提供があったと書いてあるので、おそらく楽器をお借りしたのでしょう。しかし管はその後、国立劇場公演ではあまり使われなくなってしまいます。)

■トルコへ!

さて、大学も修了し大学非常勤助手をしていた1992年夏、できれば現地でメイを習いたいという淡い期待とともに私はトルコへ3週間旅行を計画したのでした。
旅の前に、たまたま桃山晴衣さんと演奏をご一緒する機会があってお宅に伺った時に土取利行氏とお会いし、「今度トルコに行くのだけれどメイの先生を知りませんか?」とお尋ねしたところ、自分は知らないがここへ行けば教えてくれるかもしれない。」と、楽器屋さんや音楽院の連絡先を教えてくださったので、そこが淡い期待ではあったのですが、実際に尋ねてみてもメイ奏者の手掛かりは残念ながら得られませんでした。

「メイ (mey)と言ってもほとんどのトルコ人は「ネイ」と聞き間違えて、尺八に似た「ネイ (ney)」の話をし始めますし、イスタンブールのガラタ橋からの道沿いにある楽器屋さんでも「メイ」はほとんど見かけなかったので、「メイ」はどうやらこの国でも篳篥同様にマイナーな楽器らしいな、ということが見えてきました。

まあ仕方ない、と、カッパドキア観光を楽しんだりしていたわけですが、2週間過ぎようとしていた頃、小柴はるみ先生から「メイの先生が見つかったわよ!」との連絡が入りました。

小柴はるみ先生は、以前より私が民俗音楽ゼミナールでお世話になっていた先生でトルコ音楽を専門とされていましたから、旅行前にメイ奏者についてお尋ねをしてはいたのですが、その時点ではご存じなく、先生自身が夏休みを利用してイスタンブールに到着された後に探してくださっていたのでした。

教えていただいたメイ奏者はSuat Işıkılı先生。紹介くださったのはEtem Ruhi Üngōrさんという音楽雑誌を出している方でした。こうして旅の最後の1週間は先生のお宅のあるカドゥキョイ(Kadıköy)まで、毎日船に乗ってボスポラス海峡を渡り、メイのレッスンを受けられることになったのです。(つづく)