三宅榛名作曲「とき見るごとに」のこと~リサイタル葦の風no.7

久しぶりに演奏させていただく、三宅榛名作曲の「とき見るごとに」は3人の奏者が吹く篳篥と大篳篥に、歌が絡みます。
歌は2種。どちらも万葉集からです。
 咲く花は 移ろふ時あり あしひきの 
 山菅の根し 長くはありけり    大伴家持
山菅(やますが)ってなんだろう?と調べたところ、カヤツリグサ科のスゲ、あるいは藪蘭のことなのだそうです。
華やかに見える花も、いつかは散ってしまう。
土の中にある山菅の根こそは、ずっと変わらず長く続くものだ、と。
コロナ禍で花を咲かせる機会がどんどん失われている今。
花が咲かせられないからと、根までしぼんでしまいませんように。
細く長く着実に続けること、大事ですね。
  移りゆく 時見るごとに 心痛く
  昔の人し 思ほゆるかも    大伴家持

次々と移り変わってゆく この時世の様子を見るたびに、心も痛くなるばかり。昔の人が思われてなりません。

大伴家持はこの歌を755年に詠みました。先の山菅の根の歌は757年です。当時は政界は大友家持らと藤原仲麻呂が対立していて、頼りにしていた聖武天皇や橘諸兄が亡くなった直後。一族、知友らも捕らえられたり亡くなったりという時期だったようです。

初演の1999年からもう22年。世の中は移り変わり、自分もまた変わりました。
作曲の三宅榛名さんがプログラムノートに書いているように、
「演奏者は演奏を続けることで自らを徐々に過去へ過去へと押しやり、再び新たなかたちに生まれ変わり、現在とその先をつくり出していく。」ことをイメージしながら、稽古していこうと思います。

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