祈りの場で雅楽

11/14(土)午後の、TARAT1983主催、東北支援チャリティーコンサートno27には雅楽トリオ<千歳>が登場します。
芸大の同級生達が2011年から教会などでずっと続けているコンサート、実は私は1年前まで全然知らなかったけれど、ご縁が出来てno.27として雅楽をさせていただけることになって、本当に嬉しい。
ドイツ語福音教会という祈りの場に雅楽を響かせることが出来るのも嬉しいことです。
震災の後、ひたすら心配で不安で、無力な自分には祈ることしかできない、と思った時、祈りを言葉にするすべを持たない私は、篳篥を吹くことが祈りにつながることを発見しました。(恥ずかしながら、心底祈る気持ちになって篳篥吹いたことは、それまでなかったのです。)
ひたすら祈りながら吹く篳篥は、この世ではないどこかに通じて響いているように思いました。
そうやって篳篥を吹いているうちに、ふと、祈りを込めてこんな風に必死な気持ちで吹いていた人は、実はいにしへの昔から数知れずいたに違いないと、気づきました。なんだ。そうか。
祈る手段としてなくてはならないから、皆、雅楽をやってきたんじゃないか。いつの世も天災人災が次から次へと襲ってくる中で、雅楽を奏して祈ることが、ものすごく大事なことだったから、雅楽は奏されつづけてきたんだ。と。
雅楽は神社やお寺の儀式で奏されているんだから、そんなこと当たり前。でもやっと腑に落ちました。
あの頃吹いていたのは、やっぱり鎮魂の調でもある盤渉調の曲でした。今回取り上げるのも盤渉調の「越天楽」と「千秋楽」。天に届けるような気持ちで、そしていま生きている自分たちの心を鎮めるような演奏させていただきたいと思っています。