フエ・フェスティバル(ベトナム)で演奏 ~ ニャニャクのこと ~ 林邑楽のこと

4月中旬に、ベトナムの中部にある古都フエを初めて訪れました。
食べ物が飽きない味付けでとっても美味しく、フォー(汁ビーフン)やチェ(ぜんざい)や宮廷料理にはまりました。バイクが行き交う信号のない大通りを渡るコツ(=ゆっくり渡ればバイクが避けてくれる)もわかってきて、シンチャオ(こんにちは)とカムオン(ありがとう)を駆使しながら、笑顔で楽しい6日間でした。
旅の目的は2年に一度開催されるフエ・フェスティバルに参加して、ベトナムの宮廷伝統芸術劇場付属雅楽団の演奏家と合奏演奏させていただくこと。
昨年9月に横浜能楽堂で行われた、日本・ベトナム外交関係樹立40周年記念「再びの出会い 二つの国の雅楽」公演のベトナムでの再演というという、実現できたら嬉しいねと夢のように語っていた話が実現したのです。
  今年で8回目を迎えるフエ・フェスティバルが何なのかよく知らずに行ってしまったのですが、フエ王宮内と街中に特設舞台が設けられて、連日いろんなところから音が聞こえてくる、街を上げてのお祭りでびっくりしました。
後で調べたら、「五大陸37の国と地域から、66の演芸グループが参加して数百に及ぶプログラムが9日間にわたって披露された。開幕式への観客参加数は2万人に上がった。」とか。
想像できますか?
たとえば、フェスティバル出演者のための歓迎昼食パーティーに行ったら、出演者だけで300人位いてまずビックリ。食事中にもロシアの子供達やコロンビア、チリ、ベトナムなど世界の踊りや歌が披露されます。3日後にも、また別な出演者を集めての同じようなパーティーが開かれているのを見かけて、またビックリ。
 街の中も、本番を終えて余裕ができ、出歩いた夜はこんな具合でした。
タクシーの車内から街の特設舞台でやっている踊りや歌をちらっと見かけ、心惹かれながらも王宮に到着。
まずは入口の特大ステージからは何かのショーの音が聞こえ、少し行くと王宮楽団の方たちが大楽を太鼓とケンで賑やかに演奏しています。
そのまま中を歩くと、今度はベトナムの琵琶、三味線、月琴、打楽器の楽士さんたちが何やら爪弾いているので聞き惚れているうちに、誘われて一緒に写真撮影。
広場のステージではミャンマー(多分?)の美しい女性たちの踊りがあって、そのまま王宮内劇場に着くと、どうやらベトナムの子供達の踊りのリハーサル中。
ちょっと散歩して戻ってくると、今度はウルグアイからというギターデュオが演奏中で、素敵な曲に聞き惚れてしまう。という具合。
昼間も交通規制しているなあと思ったら、新年の獅子舞やインドの大道芸パレードに行き当たったり、公園ではベトナムの「書道」展示中で、書の実演販売をしていただいたり、ホテルの部屋にタンゴが聞こえてきて、ここはどこ?と思ったり、思いがけず何かに出あう楽しさがありました。
私たちも夕暮れ時にフォーン川沿いの公園にしつらえられた野外ステージで雅楽を演奏しましたが、人々が足を止め、集まって聴き入ってくださった後、声をかけられたり写真を一緒に撮ったりと、自由な雰囲気を楽しみました。
 
さて、私たちのメイン演奏会が開かれたのは王宮内にある「閲是堂(ズエット・ティ・ドゥオン)」という劇場。共演する楽団員の本拠地であり、かつては皇族が宮廷舞踊を楽しむための建物で、ベトナム戦争で破壊された後、復元されたものです。
共演したのは、ダン・バウ(一絃琴)のクオンさん、ダン・チャイン(箏)のハインさん、ダン・ティ・バ(琵琶)のロンさん、そして笙の石川高さんです。
曲は芝祐靖先生作曲の「仏哲に捧げる」。第一曲目「香河(フォーン河)の木霊」では金属絃の箏の流れに、滑らかな一絃琴と篳篥が掛け合い、第二曲目「祈り」では笙と琵琶のデュオ。第三曲「順化(フエ)の煌めき」は打物や声も入る合奏です。
普段と違う種類の音楽に合わせて別な調絃にしていただくなど、音楽家の皆さんには多分かなりご苦労をおかけしたのだと思いますが、始終柔らかな物腰と笑顔でアンサンブルを作り上げてくださったことに本当に感謝しています。一絃琴と篳篥を合わせるのはとても気持ちが良いものでした。
琵琶のロンさんは、ケンというチャルメラ系の管楽器奏者でもあり、これを間近で吹いてもらうと、やっぱりほっぺたを膨らませてすごい音量。リードを挿しておく細い棒がアクセサリーのように楽器についていて実用的且つオシャレです。お願いして1つ買わせていただき、少しだけ吹き方を習いました。
 
彼らが普段演奏しているのは、ベトナムのニャニャクです。
「雅楽」は日本では「ガガク」ですが、韓国では「アアク」、ベトナムでは「ニャニャク」として伝承されている。漢字文化圏の各地に「雅楽」はあるのです。
それを初めて実感したのは、19975月にソウルで開かれた「東洋の雅楽 Aak, Yayue, Gagaku, Nha Nhac」というシンポジウムに参加して、雅楽を演奏させていただいた時でした。中国ではとうに雅楽は無くなってしまったけれども、韓国とベトナムにはあると知り、どんな音楽だろう…! と、ワクワクして類似点を探してみましたが、全然違う音楽でした。特にベトナムの音楽がとても中国風なのが意外でした。
どうやら、どれも中国の宮廷音楽とはいえ、日本に伝わったのは7~8世紀の隋・唐代の音楽。韓国には12世紀の宋代、ベトナムには15世紀の明代の音楽が伝わったとか。それでは似ているはずがありません。
 今考えるとあのシンポジウムは、ベトナム戦争で存続の危機に瀕している宮廷楽舞のニャニャクを復興させようと、ユネスコを通じて日本の音楽学者の先生方に要請があり、長老音楽家3名が健在のうちに若い世代へ伝えようという活動が盛んに行われていたその時期だったのです。
あれから17年。まさか私自身がそのニャニャクの演奏家の方々と共演することになるとは、思ってもいませんでした。今回共演した方々の中には、あの頃創設されたフエ芸術大学雅楽科を卒業された方もいます。いろんなことが、いろんな人が繋がっているんだな、今起きていることも次に繋げていきたいな、と実感しました。
 さてベトナムといえば、雅楽に関係する者にとっては、林邑八楽を伝えた僧仏哲の故郷としても関心のあるところです。
林邑八楽というのは、林邑(チャンパ)国のフエ出身の僧仏哲によって8世紀に日本に伝わったとされている曲で、諸説あるようですが「陪臚」「抜頭」「菩薩」「迦陵頻」「菩薩」などの曲があります。
仏哲という方は、林邑国からまずインドに行って菩提僊那に師事し、その後師と共に唐に入って滞在していたのですが、日本から来ていた僧に招かれて天平8年(736年)に来日。ベトナム→インド→唐→日本とずいぶん長い道のりをたどってベトナムから日本にたどり着いたようです。日本へは密教経典などを請来した他、奈良の大安寺に住んで林邑楽や舞を楽人に教えたといいます。
林邑楽というのですから、チャンパ、つまりベトナムの音楽を伝えたのだと思いがちですが、インド系の音楽と舞を伝えたというのが定説となっているようです。とはいっても今では他の唐楽楽曲との音楽的なあるいは舞ぶり上の違いはほとんど探すことができず、何がインド的なのか辿るのは難しいのですが。
   ともあれ、来日して16年後の天平勝宝4(752)の東大寺大仏開眼供養会では、師の菩提僊那が導師を務め、仏哲の教えた林邑楽も上演されて、そのインド風の響きと舞は、大いに人々を驚かせたに違いありません。1300年後も林邑楽として伝わるほど、林邑出身の仏哲さんの功績は大きかったのだなあと思います。
今回のベトナム公演では仏哲の滞在した奈良から南都楽所の方々が、林邑楽の陪臚、蘭陵王、胡飲酒の舞楽等を演奏なさいました。
 
ドンバ市場の活気、可愛いベトナム雑貨…、旅の思い出は尽きません。またいつか行けるといいな。