バグパイプと共演して思うこと

2月17日に行われたカフェ・ムリウイでのライブ「おとつながる~ひちりきとバグパイプ」。中世ヨーロッパに篳篥が紛れ込んで「カルミナ・ブラーナ」を吹いてみたり、中世日本にバグパイプ抱えた放浪楽師たちが紛れ込んで、梁塵秘抄を歌ってしまったり、というあり得ないことが、なんだかあったような気がする自然さで、とても面白かった。
あんなに大きいバグパイプと大篳篥が同じ音域なのは、ちょっと不思議。ダブルリードを口でくわえる篳篥の感覚からすると、キャップと皮袋と別な管をつなげた先から息を吹き込むのでは、かゆいところに手が届かないもどかしさを感じないか、と心配してしまう。でもそのおかげで、バグパイプは旋律を奏でるチャンター管+ドローン管数本を同時に鳴らし、さらに音が途切れることがない。
口で直接、音程と音色を微妙にコントロールすることを取るか、一人で数人分の合奏を実現してしまうことを取るか。
いずれにせよバグパイプも篳篥同様、1オクターブと数音という音域の狭さ。不器用な楽器は篳篥だけではなく、制約を逆手にとって独自の世界を広げている。
ちなみに、バグパイプのリードはプラスティックで作ることができて、自然のリードより長持ちするので良いという。リードに皮袋から流れる空気が通った時に振動して音が鳴ればよいわけで、篳篥のように唇の締め具合や位置で、音程や音色を変える必要がないから可能なのだろうかと思う。
いつか篳篥の蘆舌(リード)もプラスティックで作られる時が来るだろうか。
今の時代、開発費をはずめば、技術的に不可能ではないかもしれない。
もしもとってもいい音のするプラスティックリードが開発されて、いつでもそれが手に入ったら、「なんだかつるつるで変な感じ」といいながらも、やっぱり嬉しいかもしれない。
それとも、太めだったり、ちょっとだけ削り足りなかったり、どこか難ありな蘆舌を、調整して吹きながら、「いい蘆舌があれば、本当はもっといい音がでるんだけどねえ・・・」などとつぶやいていた「あの頃」を懐かしむのだ
ろうか。